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山中鹿介(やまなかしかのすけ)

2010年3月19日

こんにちは。

昨年の大河ドラマ等の影響で、戦国時代がブームであるといわれていますが、 島根を代表する戦国武将といえば、山中鹿介(やまなかしかのすけ、本名:山中幸盛)でしょう。

山中鹿介は現在の安来市広瀬町に生まれ、出雲国の戦国大名尼子氏に仕え、武勇に長けた武将であったと伝えられています。

その尼子氏の本拠城であった月山富田城(がっさんとだじょう)跡は当時の面影を残しています。
難攻不落の山城で、5万の軍勢に耐え抜いたことがあるといわれています。
関ヶ原の合戦以後に入城した堀尾氏が、松江城を築城するまでは、月山富田城が政治の中心であり、
安来市広瀬町は「山陰の鎌倉」といわれることもあります。

戦国時代、尼子氏は毛利氏と中国地方で覇権を争っていましたが、 毛利氏の名君元就公の知略により敗れ、尼子家はその軍門に下りましたが、 山中鹿介は、尼子家への忠義を貫き、捕虜となっても脱走し、 不利な状況でも、月山富田城の奪回と尼子家再興を図り挙兵します。
しかし、強大化した毛利氏の前に敗れ、無念の最期を遂げた悲運の武将です。

山中鹿介は、毛利方の武将を一騎打ちで破ったとか、美男子であったとか、 多くのエピソードが伝えられていますが、中でも有名なのは、
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったことでしょう。
島根の県民性として、“勤勉であること”が挙げられますが、そのルーツはここにもあるかもしれませんね。

山中鹿介像

【三日月に祈る山中鹿介像】
私は、年に1度は月山富田城に登っています。
山中鹿介ら当時の猛者たちはここをどんな気持ちで闊歩していたのだろうか?とか、

山中御殿

【月山富田城内「山中御殿」…政治が行われた建物があった場所】
山頂の本丸跡では、山中鹿介が奪回を夢見た景色はこれか!

月山富田城本丸跡からの景色

【月山富田城山頂の本丸跡からの景色】
などと思いにふけ、戦国ロマンを感じながら、山中鹿介から元気をもらっています。
また、地元安来市では、山中鹿介を大河ドラマの主人公にする運動も起こっているそうです。
月山富田城までは、松江市から車で約40分。駐車場から山頂まで徒歩約40分です。

【参考ホームページ】
安来市「戦国の覇者・尼子盛衰記をめぐる」
http://www.city.yasugi.shimane.jp/p/2/11/4/3/

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